お椀の専門店 三義漆器店
 塗りの達人「賢三」・筆の達人「隆華」の二人の伝統工芸士の作り出す高級漆から
食器洗浄機・電子レンジ対応のお椀などど、器全般の製造をいたしております。

ブログでは、工房や工場、スタッフの日常などの日々をご紹介していきます。

企業の覚悟 4



4回に渡り掲載いただきました 「企業の覚悟」
昨日、最終回が掲載されました。

以下、新聞記事になります。



福島をつくる(12) 第1部 企業の覚悟 三義漆器店(会津若松)

http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2015/01/post_11331.html


 
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<社員の成長こそ力>
 「うちには2歳と4歳の子どもがいます」。会津若松市門田町の三義(さんよし)漆器店は毎日の朝礼で、社員が交代で1分間のスピーチをしている。
 話題は仕事や家族をはじめ、趣味や休日の過ごし方まで幅広い。「会社を良くするのは『人』だ。社員が互いに理解し合えば必ず大きな力になる」。社長の曽根佳弘(50)は社員の話にじっくり耳を傾ける。
 社員は中小企業大学校仙台校や県職業能力開発協会などが主催する研修会、勉強会に参加し、会社を支える力を養う。
 斎藤悠(34)は梱包(こんぽう)・出荷担当から営業担当に異動した。研修会に参加し、考えが変わる。「商品を並べ、買い手がどう感じるのかを常に意識するようになった」
 研修会で異業種の社員に気付かされた。社員は少人数の会社に勤め、一人一人が全体を見渡す気配りをしないと作業が進まないと言った。斎藤は自分に周囲への心配りが足りないと感じ、客がうれしいと思う発想を営業で取り入れた。
 熱意や責任感が増した。今では営業の第一線で、主力取引先のイオンなど大手量販店を担当し、食器類の取扱量を増やしている。
 生産効率を高める社員の努力は続く。東日本大震災発生からしばらくして、県内の復興を応援しようと他県の小売店や専門店から注文が増えた。
 生産部長の曽根典弘(42)は研修会で知り合った経営アドバイザーの助言を受け、社員6人とプロジェクトチームをつくった。早い段階で不良品をはじき、無駄な作業を減らした。そのために一人一人の品質感覚を磨いた。手の空く社員は他の工程に回し、柔軟に人を動かせる体制に変えた。
 完成品の不良品発生率は改善前の5~6%から1%未満に減り、生産量は1日5000個から倍増した。
 社員の意識はさらに高まる。「売れてる商品の資材を近くに置いて作業すれば、時間と探す手間が省ける」。社員が2カ月に一度提出する報告書には、小さな工夫がぎっしりと書かれてくる。会議は毎週開き、半日かけて意見を交わす。
 平成26年に新工場を設け、社員は約60人に増えた。ただ、社長の曽根はものづくりの本質は変わらないと考えている。「一人でも多くの人に喜んでもらう。社員が同じ目標に向かい力を合わせて努力すれば、超えられない壁はない」(文中敬称略)

企業の覚悟 3

福島をつくる(11) 第1部 企業の覚悟 三義漆器店(会津若松)



http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2015/01/post_11320.html
 
 
 
 
<使う人の意を酌む>
 会津若松市門田町の三義(さんよし)漆器店の展示場に約1000種類の器が整然と並ぶ。大きさや形、色合い、塗る材料、蒔絵(まきえ)などの装飾方法が異なる。
 「会津塗」には、経済産業大臣指定の伝統工芸士を含め約20人の職人が携わる。「塗り」や「蒔絵」の作業は専門性が高く、分業で行う。商品の生産量を増やし、後進に技を伝え、会社を大きくした。
 一方、社長の曽根佳弘(50)は合成漆器などの新しい商品を増やし、思いついた考えを商品化させた。反発は社内外からあった。
 小売店側からの要望は、素材を感じさせる木目のはっきりとした器だった。漆を何度も塗ると木目が隠れる。塗料を樹脂にし、重ね塗りを省いた。地元の同業者から「半端もんだ」とささやかれた。
 曽根は会津塗の伝統工芸士で父の賢治(75)が営む漆器工場で育つ。20歳で入社し、職人かたぎの賢治に技をたたき込まれた。そして何度も聞かされた。「会津人は口べただ。信用されるまで人に尽くせ」
 父のこだわりは曽根の器づくりに携わる信条になる。作り手の考え以上に、買い手に尽くす視点が父の教えや会津の精神と信じ、消費者の喜びを最上の評価と受け止めた。
 現在、会津塗の食器は生産全体の5%、他は新しい種類が占める。生産内容は変わったが、社員数と工場数は父の代から倍に増えた。曽根は「選択は間違っていなかった」と父に感謝する。
 「器にシールを貼ろう」。曽根が提案した際、社員は強く反対した。
 みそ汁用の内側が黒い椀(わん)に「白みそ派」、赤い椀に「赤みそ派」、大きな椀に「実だくさん汁」と貼り、購買意欲を刺激しようとした。ただ、工程を増やせば生産性が落ち、出荷が遅れる。「どこの会社もやっていない。価値があるのでしょうか」。何人もの社員が異を唱えた。
 曽根は「他社と同じ発想では勝てない。消費者が食べ物を入れた器を想像できるようにすれば必ず売り上げが伸びる」と粘り強く説いた。社員は根負けし、曽根も一緒にシールを貼った。出荷先の小売店では品切れ状態となり、「日本初の試み」と評判になった。
 若手からは「あさげ用、ゆうげ用を表すシールはどうか」と積極的な声が出始める。工夫と独自性へのこだわりが社員に芽生えた。(文中敬称略)

企業の覚悟 2

新聞掲載 2日目となりました。


福島をつくる(10) 第1部 企業の覚悟 三義漆器店(会津若松)


http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2015/01/post_11306.html
最新の撥水機能を持つ食器の出来栄えを確認する曽根

画像をクリックすると、民報社様のホームページにリンクします。
 
 
 
 
<機能性の追究結実>
 会津若松市門田町で食器製造を手掛ける三義(さんよし)漆器店は平成19年9月、初めて国外の展覧会に漆器を出品した。社長の曽根佳弘(50)は会場のパリに直接赴いたが、現地の卸業者の反応と文化の違いにがくぜんとする。
 「美術品ならともかく、食器に漆を塗る意味が分からない。高い金を出す価値があるのか」。酷評され続けた。
 漆は器の割れと劣化を防ぐが、鉄製のフォークやスプーンで簡単に傷付き塗装が剥がれた。欧州では食器に機能性が求められた。
 曽根はフォークでも傷の付きにくい樹脂を塗った食器へ改良を重ねた。料理も器も楽しむ日本人の感覚を丁寧に説く。
 注文が増え始め手応えをつかんだ直後、「3・11」が起きた。
 国内から注文の取り消しが相次ぐ。海外からは安全の証明書が必要だと迫られた。予想外の反応と注文に社員は浮き足立った。
 中国製品との競争を乗り越えた経験が曽根を冷静にさせる。小売店は通常、品物がなければ売り場を他社の品で埋める。再び売り場を獲得するのは容易ではない。曽根はすぐに国内外の取引店舗に対応を伝えた。「安全性を確認し早急に商品を届ける。必ず送る」。店側は約束を信じ、売り場を縮小させずに待った。
 小売店と築いた信頼が東京電力福島第一原発事故で切れそうになった関係をつなぎ留めた。
 東日本大震災の被災者に食器を贈った。ところが現地は水が不足し、洗えないため敬遠された。曽根は油や水の付きにくい撥水(はっすい)機能を高めた食器を考え始める。
 26年4月に大手専門メーカーとの共同研究で、汚れにくく洗いやすい食器の量産化に成功した。国内の量販店をはじめ、米国のアウトドア用品店とも契約を交わし商品を卸す。
 8月には、弁当容器「丼弁当」が米国のニューヨーク近代美術館(MoMA)に認められ、館内で展示・販売された。世界で優れた近代美術品や工業デザイン製品を集めた「殿堂」とされる。各国から来館者があり、次々と注文が入った。曽根は自信作を手に語る。「世界が会津の器を認めてくれたと感じた。つらい経験を塗り重ね、価値ある器ができた」(文中敬称略)

企業の覚悟

福島民報社の新聞に弊社の記事が掲載されました。








福島をつくる(9) 第1部 企業の覚悟 三義漆器店(会津若松)

http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2015/01/post_11301.html
完成した漆器を箱に詰める社員
 
 
<海外市場を視野に>
 おわんやお盆、弁当箱が次々と箱に詰め込まれ、トラックで全国の小売店や専門店に運ばれる。会津若松市門田町の三義(さんよし)漆器店は伝統の会津塗をはじめ、使いやすく工夫した食器類の製造と販売を手掛けている。
 平成26年に新しい工場を設けた。製造ラインを増やし、機能の異なる商品を大量に生産できるようにした。年間生産量は約400万個に上る。
 看板は多彩な品ぞろえで、約2000種類に及ぶ。伝統的な漆器はしっとりとした手触り。漆などの塗料に樹脂を混ぜた合成漆器は食洗機や電子レンジでも使える。新しい食器は漆を使わずプラスチックを基に軽量化を追究した。
 今年は5日に仕事を始めた。社長の曽根佳弘(50)は社長室で創業80年の重みをかみしめた。「世界の人が欲しがる会津の食器を作る」。決意は二度の経営危機を乗り越えた経験に裏打ちされている。
 最初の窮地は11年だった。中国から大量の漆器が入ってきた。国内製品の10分の1という安さで一気に市場に広まる。三義漆器店は売り上げが半減した。
 曽根は考えた。「卸問屋の目が安価な中国製に集中している」。曽根は卸問屋を介さず、全国の小売店や専門店に直接売り込む作戦を選んだ。初対面の担当者と交渉するのは手間や時間がかかるが、店と強い信頼関係を築ける。要望は新商品に生かす。自分の判断を信じて各地を歩いた。
 全国的な展示会にも積極的に製品を並べた。交通費や輸送料は一回当たり100万円近く負担になったが、店との接点づくりを重く見た。消費者とじかに接する店の求めに応え、同業者は扱っていない商品を提案するなど地道な努力を惜しまなかった。赤字は3年続いたが、15年に黒字へ転じる。取引先は毎年約500社ずつ増え、販売網を約6000店にめぐらせた。製品の種類は国内の中国製をはるかにしのぐ。
 曽根は新たな市場として海外を視野に入れ始めた。漆器は美術品として人気があった。「洗練された会津の食器は世界で通用するはずだ」。多少値は張っても、安い商品に競り勝つと確信していた。胸が高鳴った。曽根は海外で製品を紹介できる展示会を探し始める。(文中敬称略)

新年あけましておめでとうございます。

 
 
 



本年度は、1月5日(月)より通常営業をさせていただいております。

本年も、どうぞよろしくお願いいたします。